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夢の覚める瞬間

 夢から覚めました。不思議なもので、夢から覚めて、夢と気づきます。眠っていたのです。苦しさにとても眠られないと思っていたのに、いつしか眠り、夢の世界をさまよっていたのです。夢を見ている時は、夢の世界が現実そのものでした。夢から覚める瞬間は、およそ次のようなシーンでした。

 輝くお姿の先生に深々と礼を為したとき、ふとわたしの左手のバッグらしきものに気づきます。笑われるでしょうが、それは洗濯ものの入ったカゴでした。同時にわたしの意識に、はて先生は亡くなられたはずだが、との思いが浮かびました。その瞬間夢から覚め、うつつの意識にああ夢だったのかと思い、危ういところだったと心の中で呟きが洩れました。

 洗濯ものカゴが、現実に引き戻してくれたのです。洗濯ものを干したりするのは、職を退いたわたしの日課となっています。朝に干し、午後にとり込む洗濯ものが、夢の中では現実の象徴として現れたのでしょう。あまりロマンチックな話ではありませんが……。夢から覚めたあと、しばらくわたしは、床の中でその夢をふり返りました。

 ほとんどは現実の延長で理解できました。ただひとつ分からなかったのは、生の対極にあるかの世界に、なぜ短歌一首持参であったのかということです。これは今でも分かりません。いまひとつ興味を持ったのは、光です。なつかしい先生のお姿を思い起こすごとに、輝きが薄れ、ついには暗い影のごときお姿となりました。夢で見たあれほどの輝きが、現実を取り戻すにつれ、光を失いました。

 光と死との関わりは、わたしだけの感覚ではないようです。ここでは特に例をあげませんが、いくつかの物語にもそれが伺われます。これ以上立ち入ることは、心のたいへん深い問題になりますので、わたしの手には負えません。ただひとつだけ、その典型を記します。新約聖書のイエズスに関する記述です。イエズスの変容と、復活のさいの若者です。死の暗示であるのに、そこには光が描かれています。

※生も死も無きとこしえの安らぎを思いみるかな秋のひかりに


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おなつかしゅうございます

 ここまでの夢をふり返ると、ロマンも何もありません。夢の素材が、現実そのものです。重荷となっている短歌創作、殺風景な建物、さまようわたし。夢分析など受けなくとも、どれもが負の現実の延長だと理解できます。

 さて夢の中で、目指す会場がどうしても見つかりません。わたしは諦め、1首持参の会場に戻ることにしました。場面は変わり、その会場前。多くの人々が談笑をしながら、何かを待っている様子です。華やかなロビーを想わせます。なごやかな雰囲気です。

 会場手前のそのロビーの人混みの中に、知る人を見かけました。つい先日、病院に見舞ったばかりです。やあ、あんたも来たのか。声をかけましたが、返事はなく、いつの間にか笑いさんざめく人混みの中に見失いました。

 ふと、会場の入り口の中に立つ老婦人に気づきました。わたしからは背を向け、まわりの人らと談笑する姿は、会を統括しているひとりのようにも見受けられます。濃い藍色の着物を着た婦人の背姿。声をかけてみようと近づくと、その老婦人がふり返ります。

 目が合った瞬間、なつかしい思いがいっきに込み上げました。老婦人であるにもかかわらず、光の中でほほ笑むお顔が輝き、着物の藍も輝きを放っています。ああ、先生じゃありませんか。なんと、おなつかしゅうございます、ぜひ、わたしもお仲間に。

■あかつきの夢に顕ちます先生に礼深々と「おなつかしゅうございます」

 以下、次回に続きます。

黄葉し始めたタカノツメ。
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黄葉し始めた雑木林。
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黄葉し始めたブナ。
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コシアブラの白い幹の林。
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加奈さんの記念樹。
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今年も黄葉に会いました。
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シャラとモミジの紅葉。
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黄葉し始めた柿と青空。
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山峡の空。
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11.3-4撮影
プロフィール

カイ

Author:カイ
奥三河・作手郷の風景を、「テレジアの森」から、お届けします。2010年9月より、娘の生活、生い立ちをとおして、より深い心の風景としての作手郷を紹介します。

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