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戦争の記憶

 盆過ぎの猛暑から一転して、先週末は曇り雨の天候でした。作手の山には行かず、土曜日曜ともにテレビ漬けの日を送りました。実は15日の月曜夜から、テレビで放映された映画を連夜見ていましたので、その一週間はまるまるテレビ漬けだったことになります。

 毎年この時期になると、テレビは先の戦争に関連した番組を組み込みます。わたしが見たのも、そうしたたぐいのものでした。連夜見たのは、五味川純平原作・仲代達矢主演の「人間の条件」。全六部作で合計九時間半に及ぶ映画です。また土日にかけて見たのは、ドキュメンタリー「日本人の戦争」。前編・後編合わせて六時間の大作でした。

 と、こう書き記し、ふと、今の若い人にはまったく意味不明の文章ではなかろうかと危惧しました。聞くところによれば、戦争があったことすら知らない若者たちもいるようなのです。わたしには信じられませんが、とにかくあらためて時代の流れを整理しておく必要があると思いました。

 現代のドキュメンタリー「日本人の戦争」は、先の戦争に従軍した元兵士らの証言を中心に編集された作品です。四年間にわたるおよそ七百人の人々の証言から成り立っています。証言者らの年齢はおおむね九十歳前後であり、そして先の戦争とは、彼ら彼女らが兵士でありまた従軍看護婦であった二十歳前後の頃、今からおよそ七十年前の戦争を指します。海洋を含む東アジア全域にわたる戦争で、関係国全死者数は二千万人を超えるとも言われます。広島・長崎の原爆投下により、日本の敗戦となりました。

 映画「人間の条件」は、その戦争下での、敗戦前後の中国大陸が主な舞台となっています。昭和三十年代半ば、四年の歳月をかけて撮影されました。敗戦後十五年の年月を経ているのですが、戦争の記憶がまだまだ色濃く残っている時代でもあり、俳優らの演技には真に迫るものを感じます。

 そしてこれらの映像作品を今見ているわたしは、戦後生まれの現在六十二歳。戦争の記憶を引きずる世代とも言えるでしょう。つまりドキュメンタリー「日本人の戦争」における証言者、あるいは映画「人間の条件」における登場人物とは、わたしの父や母の若かった頃の姿とも重なるのです。

 いまここで、作品の詳細やわたしの戦争観を記すことは本意ではありません。ただ、太平洋戦争とも大東亜戦争とも称されるこの戦争の記憶を引き受けることは、わたしにとっては義務などというより、わたしが死ぬまで引きずる無条件の当為的心情にほかなりません。
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黒瀬念仏

 夕方近く、山荘のある谷山の尾根を越え、太鼓の音が遠く響いてきました。それを耳にした妻が、「ああ、あの音、きょうはどこかで初盆があるんだ。たしかあんな音だった」と言います。以前妻は、この黒瀬地区の初盆の光景を目にしたことがあります。そしてその時の感動を、おりにふれ話します。わたしは見たことがありませんので、以来、わたしも一度は見てみたいと、思うようになりました。

 太鼓の響きは、もう消えていましたが、カメラを手にし、車に乗り、山荘を出ました。ひとくちに黒瀬地区といっても、かなり広くしかも入り組んでいます。初盆の家を特定するのは、簡単ではありません。主な道路を行き、迎え火を用意している家をさがすのです。15分ほど車で走ったのですが、結局、見つけられませんでした。夕明かりの中を、山荘に戻りました。ときおり遠く小さく、太鼓の響きが聞こえてきました。

 この行事については、『作手村誌 本文編』(2010.3.31発行)に、黒瀬念仏として次のように記述されています。

 「八月十四日の夕方、区長宅に若連や各戸代表がそれぞれの役の服装で集まり念仏を唱える。終わると、初盆の家へ「十二紀門前調」のお囃子をしながら念仏体形を組んで道行きをする。/初盆の家に着くと、新仏の供養に念仏を唱え、その後酒肴や赤飯の接待を受ける。以前は庭先で近年流行し始めた盆踊りに興じたりした。頃合を見て道行きをして帰る」

 妻が見た光景は、およそ次のようなものです。何年か前の八月十四日夕方、外も暗くなった七時頃、なにやら囃子らしい太鼓の音が聞こえてきました。わたしはすでに酒を飲んで酔い加減。妻はなんの音だろうと、ひとり山荘を出て、夜の山あいの道をその音の方へと歩いてゆきました。百メートルほどゆくと、山の森を抜け、田んぼの広がる集落へ出ます。そしてその中に、いわば隣組のSさんのお宅にかがり火を見たのです。

 Sさんの家へとつづく、田んぼの中のひとすじの路。その路の両端に迎え火が焚かれ、ずうっとSさんのお宅へとつづいています。そしてその路を、哀調を帯びた囃子に合わせ、家の方へと進んでゆくひと連なりの踊り手の列がありました。浴衣を着、菅笠をかむり、時々腰を深く曲げる奇妙なしぐさの踊りをしながら、進んでゆきます。踊り手は誰もほおかむりのようなものをしていて、男なのか女なのか顔は定かではありません。宵闇の中を、迎え火に照らされ進んでゆく踊り手の一連。とっても幻想的な光景だったと、妻は語ります。

 後日、それとなくSさん宅に確認をしたところ、亡くなられたおじいさんの初盆だったとのことでした。

夜の苑を、写真に撮ってみようと思いました。
森の夜。山荘の窓からの明かりで、ほんとうはもう少し明るいのですが。
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旧暦七月十四日の月。写真に撮ると、ちっちゃいです。
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エドヒガン奥の月を撮ろうとしたのですが、ほとんど見えません。
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翌朝六時半頃、朝日に向かい。朝から日差しが強いです。
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朝日をやや背にして。実際は、朝露にしっとりと濡れています。
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以上、2011.8.13-14撮影

風にさそわれ

 8月8日は、立秋。秋立ちぬ、なんとすずやかな言葉でしょう。でも今の時代、実際の気候とは、かなりの隔たりがあります。わたしが若かった頃は、そうでもありませんでした。真夏日といっても、せいぜい三十二三度。立秋のこの時期、野山は桔梗や女郎花の花に彩られ、盆が過ぎれば、そこはかとなく秋の風を感じたものです。

 ところが今や、まだまだ猛暑日続き。九月に入っても、残暑というより、近年は夏日のつづきといった感じです。かつての桔梗や女郎花の花は野山に見られず、代わりに園芸種のそれらが、庭々に咲き誇っています。今年はさらにとても蒸し暑く、空にはメリハリのない雲が茫洋と広がっています。

 さて作手郷、テレジアの苑。山荘の入り口への道に入ると、この時期まず目にするのが、山の鬱蒼とした茂りです。そして谷にとどこおる熱い空気が肌にまといます。一年でもっとも、うっとうしく感じる季節です。わたしたち家族でなければ、この山に入る気などは、おそらく起こらないのではないでしょうか。

 わたしたちはまず、山荘の窓を開け放ちます。すると夏の風が家の中を吹きぬけ、それが谷風を呼ぶことになります。谷全体に、夏の風が吹きのぼります。むろんその風は、昔に比べれば涼しくもなく、微風という程度に過ぎません。また無風状態に陥る時もあります。それでもやはり、暑さのやわらぎにおいて、下界の市街地よりはましです。

 そして妻とわたしは、山をめぐります。全体の鬱蒼とした緑の中に、ひとつ、さらにひとつと、花を見つけてゆきます。むらさきのアキノタムラソウ。白くつぶらなヤマハハコ。たったひと茎の先に咲くオミナエシの黄花。白くレース状に花を広げるトウキ。またこの時期から、実のものも目立ちはじめます。スズラン、チゴユリの青い実。ガマズミ。ナツハゼの実は、赤と黒とのあいの色。……。

 山の木々を蝉が飛び交い、足元の草々を蛙が飛び交います。ヒグラシの声に包まれる山峡。谷を細く流れる水の音。青空をゆく雲のうごき。昼の空の白い月かげ。無音の空の無言のささやき。葉陰の憩い。風に誘われ、花に誘われ、こうしてわたしたち家族は、山の風景の中に、いつしかとけこんでゆきます。

南東の空に向かい。
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涼しげなホタルブクロ。
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夕べ、湯上がりのお灸。
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以上、2011.8.6撮影

作手郷とオランダ・フランドル絵画

 平日は豊田市の自宅で過ごし、週末は作手の山荘に宿泊。こんな生活を二十年来、続けています。今後もこの生活スタイルは、変わらないでしょう。およそ六十キロ離れたふたつの家を中心に、せいぜい百キロ程度の範囲を行き来しています。

 外国はおろか、国内旅行にすら、ほとんど出かけることはありません。それどころか、東海地方の中心都市である名古屋市にさえ、個人的な理由で出かけることはまずありません。車で一時間弱の距離であるにも、かかわらずです。

 こんなわけで、わたしたち家族は、ある意味たいへん狭い世界で暮らしているとも言えます。ただごくまれに、良い縁に恵まれて、この狭い世界から抜け出すことがあります。先日、「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」を見たのも、その一例です。

 豊田市制60周年記念事業として、8月28日まで開催されています。この企画展の内容および評判については、ネット上で紹介されていますので、ここでは省きましょう。とにかく地方の町では、通常見られない絵画展であることは確かです。市美術館へは、自宅から車で15分。このチャンスを逃す手はないと、期待を胸に出かけました。

 わたしは、絵画に対して特別な興味とか深い関心があるわけではありません。にもかかわらず、この「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」を見たときの感慨。わたしの心は、17世紀のオランダにどっぷりと浸り込んでしまいました。

 このブログでは注目のフェルメール、レンブラントには触れず、風景画についてのみ簡単に記すことにしましょう。現在、一般にオランダ風景といえば、運河や平坦な牧草地に風車とか、あるいは広大なチューリップ畑などを連想します。広々とした平坦な風景です。この平坦な風景をどのように描いているのか、これが素朴なわたしの興味でした。この興味は、高原状の作手郷にもあてはまります。

 さて、実際の作品群です。まず全体に、色調が暗いというのが、第一印象。そしてどの作品にも、平坦な風景というイメージはありません。描かれた当の場所自体は、山ぐにの日本からすれば、平野にあたるものです。それが作品となると、きわめて立体的に表現されているのです。なぜでしょう。暗い色調が、そのひとつの要因です。

 暗い色調が、絵に奥行きと深みを与えています。どの作品にも、茫洋とした光と陰の対比があります。それも特定の物体の光と影が前面に出るのではなく、たとえば空にただよう光と地上全体にただよう陰との対比の中に、それら特定物の光と影が茫洋と配置されているという印象です。この技法が平坦であるはずの風景に、ある深みをいだいた立体感をもたらしています。

 画面に立体感をもたらしているいまひとつの要因は、描く対象の配置です。ほとんどの作品に木立の茂みがあり、暗緑色の葉むらとその下陰の地上風景が、まず目に入ります。そして地上の道の形状や小さく点在する人物に目がゆき、さらに作品上部に広がる大空へと目がさそわれます。こうした視線の流れの中に、わたしたちは、立体的で広やかな空間を意識内におさめることになります。

 その他、道の形状の起伏やその曲線の流れなど、絵画の構成が平板にならないよう、工夫されています。また夜の風景や滝のある風景画なども、やはり暗い光と陰の演出により魅力ある作品となっています。なかでも滝を描いた風景画三点は、わたしの興味を引きました。滝といっても、山ぐにの日本の滝とはかなり違います。せせらぎを少し荒くした程度の滝です。それが深みのある重厚感のただよう作品となって、描かれています。

 最近、作手郷の風景にもの足りなさを感じていたわたしは、ずいぶんと反省をさせられました。作手郷自体の風景が問題ではなく、わたし自身の対象を捉える心の目が貧弱なのです。テレジアの谷風景も、もっともっと深い心で見つめなければなりません。

 最後に蛇足かも知れませんが、付け加えます。美術館で図録を購入しようとしたのですが、画像の色調が実物と違いあまりにも明るすぎるので、結局買いませんでした。同じ絵とは思われないほどです。ほんものの深さを堪能した絵画展でした。

絵画展のポスター
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プロフィール

カイ

Author:カイ
奥三河・作手郷の風景を、「テレジアの森」から、お届けします。2010年9月より、娘の生活、生い立ちをとおして、より深い心の風景としての作手郷を紹介します。

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