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反対します。

森楽さんのブログで、風力発電についての記事があります。

千万町と作手に設置計画があるとのこと。実はこの夏、作手在住の方から、反対運動の件を聞かされていました。自然環境を破壊するという理由からでした。その時は正直言って、設置の是非判断は、難しいと思いました。クリーンエネルギーの開発は、時代の流れだからです。作手の自然環境保護と天秤にかけて、どちらが良いか、頭が???になりました。

でも森楽さんの記事で、答えがでました。低周波による騒音被害。こういう問題があることを知りませんでした。こうした具体的な問題があれば、わたしは反対の立場に立ちます。

騒音については、作手のミニサーキット場の件で、うんざりです。低周波被害は、さらに深刻な公害です。今後国策として、クリーンエネルギーの開発は進められると思いますが、国や業者も、こうした問題にはきめ細やかに対処してもらいたいと考えます。
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晩秋の一日

先週は、娘が風邪をひいてしまい、作手には行きませんでした。今週は妻が風邪気味のため、21日(土曜)、日帰りにしました。天候も良く、三河湖経由で行きました。日差しは強かったのですが、風邪が吹きまくり、寒い一日でした。下山の「峠の茶屋」でにんじんを買い、次は渓流狐塚を抜けたところの花屋さんで、例年のごとくシクラメンを買いました。

三河湖の紅葉は、盛りを少し過ぎた頃かな、という感じ。マイカーにはほとんど出会いませんでした。おそらく足助の香嵐渓と小原の四季桜に、観光客が集中したのでしょう。吹きまくる強い風に、三河湖の湖面が海のそれのような白波を立てていました。またある箇所では、光を受けた波が白く輝き、湖面全体にわたり、雄大なスパイラルを描いていました。紅葉の美しさと相まって、ふだんは見られないすばらしい光景でした。湖面をとりまく山の上には、寒々とした青い空と、白い雲のかたまりがあって、これまた雄渾な風景をつくっていました。

三河湖を抜け、田んぼが広々とつらなる作手に出ると、この日はその景色がなんともゆるいものに見えました。間延びした景色だなあと、思いました。それだけ風と光が渦巻いていた三河湖の風景が、印象的だったのでしょう。

「すず風の里」では、へぼめしを買いました。そして道の駅でいつものとおり豆腐などを買い、さらに農協で買い物。この頃になるといつもの気分に戻り、いざ山荘へと向かいました。国道301から横道に入り、山羊とガチョウを飼っている家の裏を通り抜けました。山羊とガチョウの様子がとってもおもしろいのです。

山荘のある山に入ると、ほっとしました。わずかな紅葉が残っていましたが、山全体は葉を落とした木々で明るんでいます。妻は松葉湯のための松葉を採り、わたしは山の北の尾根近くの、タムシバのまわりの木を切りました。寒い日であったにもかかわらず、山の上の落ち葉した木々の林は明るく、あたたかく、たのしく作業を行うことができました。昼餉をとり、少し休んで、この日は早めに山荘を出て、家路につきました。家族三人の、作手の山荘における、ある晩秋の一日でした。

前回記事を訂正します。

前回記事を訂正します。植林山と雑木の山を、まず同列に置くべきではありませんでした。単調な「山の色」という点から、そうした書き方をしてしまいましたが、これはまったく、わたしの短絡的錯誤表現にほかなりません。もう少し正確に、記してみます。

まず植林山ですが、手入れされた山と、放置された山があります。手入れされた植林山は、造形の安定感と色の深みがあり、水墨画的な美しさがあります。反して放置された山は、じつに貧弱な様相を呈しています。残念ながら、作手郷の植林山のほとんどが、放置されている状態にあります。

次ぎに、作手郷には希な雑木の山についてです。天然林のうち、二次林を指します。一度人の手が入り、その後、数十年から百年単位の時の経過を経て、自然が造形した山です。このさまを前回は、単調な風景と否定的なニュアンスで断じてしまいましたが、あきらかな誤りです。魔が差したかのような、記述です。訂正します。

この天然林(二次林)の美しさについては、次回、記しましょう。

み冬立ちわが山峡のもみじ葉は

※み冬立ちわが山峡のもみじ葉は華やぐ終(つい)の時となりけり

山荘のある山の紅葉は、おそらくいまが盛りではないかと思います。標高約550メートル。立冬の日が、さまざまな意味で、ちょうど境になるようです。干し柿つくりに適した霜のおく寒さになり、また蛇も冬眠に入ります。温暖化のせいで、半世紀前と比較し、ひと月近い気候の遅れが生じています。

さて、山のもみじの色はじつにさまざまです。みどり、黄、くれないの色が、複雑にまた重層的に混在しています。これはこの山の特徴で、もともと木の種が多いことと、加えてわたしたちが植えた木々によるものです。自然樹ではコナラ、シロモジ、山桜など。植えたものでは、カエデのたぐい、ドウダンツツジ、ブナ、イチョウなどです。

こうしたいわば里山風景は、一見どこにでもあるように見えて、じつは現代ではほとんど存在していないのが、実状です。作手郷を例にとれば、郷内山林のほとんどが杉や檜の植林山で、一年を通して暗緑色の山です。また希に雑木の山も存在しますが、たいていは優勢種のコナラ樹に被われていて、植物相としては意外に単調なものです。

植林山も雑木の山も、現代ではほとんど人の手が入りません。木々を利用しなくなったのです。自然の勢いにまかせるばかりで、植物相はおのずと単調になります。それにつれ山の風景の色も、単調にならざるを得ません。こうしたことは、作手郷のみにとどまらず、おそらく日本の山村のどこにでも通ずることではないでしょうか。

もちろん地域の一部には、過去の遺産としての里山風景があり、秋には美しい紅葉を見せてくれる所がたくさんあります。しかしそれらは、やはり過去の遺産なのです。わたしたちは過去の遺産を継ぐとともに、あらたな里山風景を次世代のために創造してゆきたいと思います。

心で観るむらさきの色

この週末は、湿原に通ずる道の草刈りボランティアでした。

日曜は午後から雨との予報に、土曜日の午後、大石さんとともに鴨ケ谷の草を小一時間ほど刈りました。そして日曜の朝八時半から、続きの作業を行いました。さいわい天気も良く、たのしく行うことができました。参加者は五名。男性は大石さんにわたし。ほか三名は女性のIさん、Mさん、Tさん。みなさん、わたしより年配なのに、わたし以上にパワフルな動きです。

鴨ケ谷から向山湿原へと移動し、ほどなく作業を終えて、しばらくは刈りあとの草の上に腰を下ろし、お茶をのみながらの語り合い。口の動きとなると、女性パワーには、圧倒されます。男性同士ではとてもあのようにはいきません。話題も尽きることなく、大きな明るい声と笑い声が向山湿原の空にこだましました。

こうした作業に参加すると、楽しいだけではなく、わたしは必ずなにかを教えられます。あるいは感動を与えられます。今回、そのひとつの例をご紹介します。湿原の草紅葉(もみじ)の色についてです。

湿原は今、ヌマガヤの黄葉で、黄金の海と輝いています。草刈りも終わりに近づいた頃、わたしはその深い色合いについ見とれていたのですが、どうしてもその色を言葉で表現できませんでした。そこで画家でもあるMさんに、目の前に広がるヌマガヤの黄葉を示し、なんの色かと尋ねたのです。

Mさんは、しばらくじっと見ていましたが、ひとことでは言い表せないとし、次の色をつぶやきました。黄色、赤、みどり、……むらさき。わたしはびっくりしました。前三色は理解できます。実際、そうした色をふくんでいるからです。でも紫は、瞬時に理解が及びませんでした。間違いではないかと思い聞き返すと、やはりむらさき、との返事。この黄葉の深さをあらわすには、やはりむらさきの色だと言うのです。わたしはすっかり感心をしてしまいました。

わたしの心にも、すこしむらさきの色が見えてきました。いわゆる心で観る色なのです。ああこんな色の見方があるのかと、まるで新しい世界をかいま見る思いがしたひと時でした。


プロフィール

カイ

Author:カイ
奥三河・作手郷の風景を、「テレジアの森」から、お届けします。2010年9月より、娘の生活、生い立ちをとおして、より深い心の風景としての作手郷を紹介します。

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