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上菅沼の十六童子

冬の日差しのあたたかな時に訪ねると、ほっとするこどもの石仏群です。
まず、こんな坂をのぼります。
09.01.02.シュウロクサカ0-0

09.01.02.シュウロクサカ0-1

石荒く組みたる坂の険しきを石を選りつつ踏みしめ登る
石組みの荒きのぼり路(じ)やや湿り石につもれる落ち葉は深し
09.01.02.シュウロクサカ0-2

09.01.02.シュウロクサカ1

石を踏み喘ぎのぼりし森なかにわれは息のむ童子の群像
09.01.02.シュウロクイシ0

険しきにわずか平たき場をつくり祠をなかに石仏の群
右の岩ひだりの岩に分かれ立つ十六童子の石仏の群
冬の日は小暗き森に深く差し影と光のなかに我居り
09.01.02.シュウロクイシ1

09.01.02.シュウロクイシ2

差し込むる冬の木もれ日ひわ色に十六童子の像を照らせり
にこやかに桶を頭に笑む童子冬の日淡く面わに差せり
09.01.02.シュウロクイシ3

童子立つ岩にみどりの苔むして木もれ日は差す淡くはだらに
09.01.02.シュウロクイシ4

いく百年ここに鎮まる石仏の笑みあえかなる童子の面わ
09.01.02.シュウロクイシ5

09.01.02.シュウロクイシ6

09.01.02.シュウロクイシ7

ふり返りまたふり返り去りにけり十六童子の像をこころに
09.01.02.シュウロクイシ8

09.01.02.シュウロクイシ
(撮影2009.1.2)
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歴史が消える

1/18、日曜日は、作手自然愛好会の今年初の会合でした。わたしは午後の1時半頃から参加しました。十人弱の参加者でしたが、話題は豊富。とりわけ作手の生活史ともいうべきことについては、ずいぶんと勉強にもなり、また考えさせられるひとときでした。

作手に対する、今までのわたしの印象は、米どころであり、ゆたかな地域とのイメージでした。このイメージが逆転させられたのは、大石さんの最近のレポート「大野原湿原」の記述です。沼田での米造りの命がけの壮絶さを、良い田で1反3俵の収穫の貧しさを、レポートは記述しています。どんでん返しをくらったような、レポートでした。

はたして、作手は、豊かだったのか、そうではなく貧しかったのか、愛好会のみなさんの活発な意見交換がありました。

当初は、貧しさが強調されましたが、結果は、当時にしてみれば、やはり豊かな村であったことで、みなさんの意見が一致しました。単位あたりの収穫量の貧しさは、それをしのぐ広さでおぎなっていたらしいこと。作手は米には困らなかったそうです。ただし、沼田のためにおいしくはなかったそうです。さらには、雑穀の収穫も、今で言う副収入として貴重だったようです。加えて、林業に適した地形のために林業収入で村全体が潤っていたとのこと。また戦前は軍馬の飼育も盛んだったとのことです。

要するに、豊かな水による米作りを基本として、多角的な財の収入があったというのです。そしてこの風土から、作手村民の人間性も培われたとのことでした。

わたしたちは、現在の暮らしぶりから、貧しさ豊かさを判断しがちです。でも忘れてはいけないのは、たとえ農的自然条件の恵まれた日本でも、戦前の暮らしは常に過酷な生活をはらんでいたことです。
宮沢賢治の苦悩の根源である、昭和初期の、娘の身売りが横行する東北農民の餓えと貧しさ。明治期の有島武郎が描いた「カインの末裔」の、北海道農民の過酷な貧しさ。これらの貧しさは、つい半世紀ほど前までは、現実だったのです。米には困らなかった、という作手は、やはり豊かだったと言って良いでしょう。

そのほか、戦国時代の武田軍団が通った路、それはほとんど獣道だったこと。テレビドラマで見る映像とは、似ても似つかぬ半農半武士の姿が、なぜか彷彿とします。また和田峠(実はわたしは知りません)が、とこさむ(常寒)峠と呼ばれていたこと。俗称、ババ峠とも呼ばれたこと。いわれは、よろよろのばあさんでも、ふきっさらしの風にのって、峠越えができるなど。

獅子が森からの風、などという言葉が、ついと出ることなど。おもしろくもまた、貴重な話だと、つくづく思います。いわば生活の歴史の、最後の証言を聞いているような気分でした。これらの話を、後世に残したいと、つくづく思いました。それでなければ、歴史が消えてしまいます。

幻の湿原の里

 新年は、落胆から始まりました。「にほんの里100選」に、わたしが推薦応募していた作手地区が、選からはずれたのです。
 新城市作手地区。湿原の里として推薦しました。通称、作手高原と呼ばれます。かつては東海地方最大の大野原湿原が存在していましたが、現在は区画整理された美田が広がる里です。隆起準平原という地形に加え、夏期冷涼多雨・高湿度という特異な気象環境が、豊かな植生・生物多様性を育んでいます。
 選にもれたことで、落胆はしましたが、一方では、納得もしています。「人の営み」が経済優先の歴史をたどり、湿原を消滅させ、森林を砂漠化させました。経済的にはなんの役にも立たない湿原を、雑木の森を、人は省みませんでした。
 わたしが推薦したのは、ゆたかな自然の面影をかすかにとどめる、幻の湿原の里だったのかも、知れません。

 選考のための、調査は入ったようです。湿原ということで、長の山湿原あたりを廻ったと聞きました。でも、あのあたりは里風景とはいえないと思います。こんなところです。さびしい風景です。
09.01.02.ナカノヤマ1

 人が写っても……
09.01.02.ナカノヤマ2

 やはりさびしい。
09.01.02.ナカノヤマ3


 実はこのブログ、作手郷の個人広報のつもりだったのですが、上記のとおり、なんだかがっかりしてしまい、装いを少し変えてみようかと思います。どう展開したら良いのか、今は分かりません。しばらくは、暗中模索の状況が続きそうです。

初もうで

1月2日に、友人が山荘を訪ねて来ました。本宮山に行こうということになりました。写真を撮ったのですが、わたしのものは変な写真ばかり。

たった一枚、砥鹿神社奥の院です。
トガジンジャ

奥の院の参道から、友人が写した富士山。真ん中あたりに小さく見えます。
フジサン

これは、特別。友人が2002年の1月2日に、雪の白鳥神社を写したものです。こんな風景を撮るのは、今後、ないと思います。
ユキノシラトリ

山荘に帰ったら、フクロウを見ました。松の内に、富士山とフクロウを見るなんて、今年は、縁起が良いはずですが、はたしてどんなでしょうね。

プロフィール

カイ

Author:カイ
奥三河・作手郷の風景を、「テレジアの森」から、お届けします。2010年9月より、娘の生活、生い立ちをとおして、より深い心の風景としての作手郷を紹介します。

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