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透明な織物 一。どんな喜び?

 その日は、運良くほかにお客のいない、いつもの作手の床屋さんにまず行きました。おかみさんとほっとした気分で世間話。この年の冬の冷たさなどを語り始め、たまたま先々週の向山湿原の草刈りについてわたしが切り出した時のことです。草刈りボランティア数、地元が4割、他が6割くらいと話したところ、おかみさん曰く、「地元のわたしたちがこんなふうに言って申し訳ないけれど、そんなにきれいな花が湿原にあるんですか」。

 返事に詰まりました。きれいな花がある、うーん、ちょっとちがう気がします。おかみさんのニュアンスは、他村の人がそれだけの労力を払うのだから、みなさんそれほどに湿原の花が好きなんですね、みなさんにとってそんなにきれいな花があるんですね、ごくろうさま、という感じです。きれいな花があるから、湿原ボランティアをする、……、ちょっと違う。その場ではうまく説明できませんでした。おかみさんはとても気さくで、人の良い方です。そんなおかみさんの率直な問いかけが、妙に胸に残りました。

 その後、いつも通り「道の駅」、農協で買い物をし、山荘へ。午後はわたしどもの山の湿地の草刈りをしました。夕べとなり風呂に入り、食事をし酒を飲んで、本を読んだりして九時くらいには眠ってしまいました。そして、目覚めたのが深夜の二時半。それから三時間近くも、あれやこれやと、朦朧とした意識の中で思いがめぐりました。とりわけ、理髪店のおかみさんの言葉、そんなにきれいな花があるんですか。

 きれいな花……。あるいは貴重種……。作手の花。きれいと言えばきれいです。貴重と言えば貴重、だからといって国に指定されるほどの種があるわけではありません。平凡と言えば平凡です。またわたし自身に、花への格別な思いがあるのでもありません。正確に言えば、花だけに格別な思いがあるわけではありません。半ば眠りの意識の中で、わたしはおかみさんへの返答を紡ぎ出してゆきました。

 週末毎に、わたしたち家族が作手に通うのは、ほかの人には、奇妙に思われるかも知れません。しかも寒く冷たく、花など咲かないこの季節です。山の管理のため、というそれなりの理屈をつけますが、それは他者に説明するための便宜上のこと。端的に言えば、テレジアの山にゆくことが、喜びであるからにほかなりません。喜び? どんな喜び?

 深夜から夜明けにかけて、延々と自問自答をくり返しました。いま、実はそれなりの解はあるのですが、一度の記述ではとても説明しきれません。折にふれ、少しずつ書いてゆこうと思っています。

晴れ渡った朝。薄い雲がきれいです。
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テレジアの山の、ひとめぐりに出発です。
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曲がりくねった赤松。山の木のシンボル的存在です。
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薄らな雲。
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こんな淡い雲も、好きです。
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緑のモミの木と、冬枯れの雑木林。
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コナラ林を背景に。散歩は左へと、坂をのぼります。
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一本道をさらに奥へと進みます。
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山の斜面の白い木。太いのは松の立ち枯れ、細いのはコシアブラ。きれいな白です。
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山の中腹のヤマモモの前で。
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すっと伸びた黒松二本。端正な姿。
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以上、2.27撮影。

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天使の日差し

 クリスマス寒波の予報が、実際そのとおりになりました。作手には、23日金曜(祭日)に日帰りで行ってきました。山荘の暖房用の灯油と草刈り機用の混合油が底をついていたため、作手農協GSで購入しておきたかったのです。さいわいに日差しがありましたので、冬のドライブには、ちょうど良い天候でした。

 山荘、豆腐屋さん、道の駅、農協、GS、山荘の順。いつもどおりの日常の会話があり、ちいさな幸福がありました。それにしても、買い物をするさい車を出た時のなんという風の冷たさ。作手高原を吹き抜ける風の冷たさは、豊田あたりの風とはまったく違います。作手高原の気候・風土は、元来低温多湿の湿原ですので、冬の土には凍りつくほどの水分が含まれています。そうした水分を含んだしかもさえぎるもののない田の原を、冬の風が吹き抜け、吹き渡ります。やっぱり作手の風は冷たいなあ、などと妻と笑いあいながら、わたしたちは車の中へと逃げ込みます。

 こんなに冷たい作手だからこそ、冬の日差しのありがたさには、ひとしおのものがあります。ところで「日差し」について、わたしには印象深い映画作品があります。ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品「ミラノの奇跡」(1951)です。貧しい人々を描いたモノクロの哀しい作品ですが、その中のワンシーンで、日差しが扱われています。

 重おもと雪雲の垂れ込める朝、まともに住む家も無い人々が、足踏みをしながら寒さをしのいでいます。すると、天上の雲の切れ間からひとすじの光が地上に差し、貧しい人々が一斉にその光の中へと集まり、おしくらまんじゅうをするようにしてお互いを暖め合う、というシーンです。

 なぜかこのワンシーンがわたしには忘れられません。物語はさらに、その光の輪の中に入ろうとする人やそれを押しやろうとする人々やらが描かれるのですが、そのひとすじの日差しがあたかも「天使の日差し」でもあるかのように、描かれているのです。わたしはふと我に返り、日常の日差しのありがたさをしみじみと思ったものでした。

 さて、山荘での昼食後、少し休み、シキミを採り、わたしたちは早めに帰路につきました。途中、ことし最後の墓参りのため、古瀬間墓地公園に立ち寄りました。午後の日差しの中を、妻はシキミを持ち、わたしと加奈さんは腕を組みながら、とぼとぼよろよろと行き来をして墓参りを済ませました。

すっかり葉を落とした、テレジアの山。
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加奈さんを、山の入り口に立たせて。
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日差しがまぶしい。
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手をのけて、と言ったら、目をつむりました。
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以上、2011.12.23撮影

作手郷とオランダ・フランドル絵画

 平日は豊田市の自宅で過ごし、週末は作手の山荘に宿泊。こんな生活を二十年来、続けています。今後もこの生活スタイルは、変わらないでしょう。およそ六十キロ離れたふたつの家を中心に、せいぜい百キロ程度の範囲を行き来しています。

 外国はおろか、国内旅行にすら、ほとんど出かけることはありません。それどころか、東海地方の中心都市である名古屋市にさえ、個人的な理由で出かけることはまずありません。車で一時間弱の距離であるにも、かかわらずです。

 こんなわけで、わたしたち家族は、ある意味たいへん狭い世界で暮らしているとも言えます。ただごくまれに、良い縁に恵まれて、この狭い世界から抜け出すことがあります。先日、「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」を見たのも、その一例です。

 豊田市制60周年記念事業として、8月28日まで開催されています。この企画展の内容および評判については、ネット上で紹介されていますので、ここでは省きましょう。とにかく地方の町では、通常見られない絵画展であることは確かです。市美術館へは、自宅から車で15分。このチャンスを逃す手はないと、期待を胸に出かけました。

 わたしは、絵画に対して特別な興味とか深い関心があるわけではありません。にもかかわらず、この「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」を見たときの感慨。わたしの心は、17世紀のオランダにどっぷりと浸り込んでしまいました。

 このブログでは注目のフェルメール、レンブラントには触れず、風景画についてのみ簡単に記すことにしましょう。現在、一般にオランダ風景といえば、運河や平坦な牧草地に風車とか、あるいは広大なチューリップ畑などを連想します。広々とした平坦な風景です。この平坦な風景をどのように描いているのか、これが素朴なわたしの興味でした。この興味は、高原状の作手郷にもあてはまります。

 さて、実際の作品群です。まず全体に、色調が暗いというのが、第一印象。そしてどの作品にも、平坦な風景というイメージはありません。描かれた当の場所自体は、山ぐにの日本からすれば、平野にあたるものです。それが作品となると、きわめて立体的に表現されているのです。なぜでしょう。暗い色調が、そのひとつの要因です。

 暗い色調が、絵に奥行きと深みを与えています。どの作品にも、茫洋とした光と陰の対比があります。それも特定の物体の光と影が前面に出るのではなく、たとえば空にただよう光と地上全体にただよう陰との対比の中に、それら特定物の光と影が茫洋と配置されているという印象です。この技法が平坦であるはずの風景に、ある深みをいだいた立体感をもたらしています。

 画面に立体感をもたらしているいまひとつの要因は、描く対象の配置です。ほとんどの作品に木立の茂みがあり、暗緑色の葉むらとその下陰の地上風景が、まず目に入ります。そして地上の道の形状や小さく点在する人物に目がゆき、さらに作品上部に広がる大空へと目がさそわれます。こうした視線の流れの中に、わたしたちは、立体的で広やかな空間を意識内におさめることになります。

 その他、道の形状の起伏やその曲線の流れなど、絵画の構成が平板にならないよう、工夫されています。また夜の風景や滝のある風景画なども、やはり暗い光と陰の演出により魅力ある作品となっています。なかでも滝を描いた風景画三点は、わたしの興味を引きました。滝といっても、山ぐにの日本の滝とはかなり違います。せせらぎを少し荒くした程度の滝です。それが深みのある重厚感のただよう作品となって、描かれています。

 最近、作手郷の風景にもの足りなさを感じていたわたしは、ずいぶんと反省をさせられました。作手郷自体の風景が問題ではなく、わたし自身の対象を捉える心の目が貧弱なのです。テレジアの谷風景も、もっともっと深い心で見つめなければなりません。

 最後に蛇足かも知れませんが、付け加えます。美術館で図録を購入しようとしたのですが、画像の色調が実物と違いあまりにも明るすぎるので、結局買いませんでした。同じ絵とは思われないほどです。ほんものの深さを堪能した絵画展でした。

絵画展のポスター
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なでしこ

 「To Our Friends Around the World Thank You for Your Support」。金メダルの花園から、世界に向けて感謝のメッセージを発信。なでしこジャパンに心から拍手を送ります。なにも書くべきことはありません。まさに「what a wonderful world」です。

 日本女性の美称とされる、なでしこの花。万葉集にも載っているほどの、日本古来の花です。なでしこの花に寄せ、亡き恋うる人を詠んだ歌。

■秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも
 大伴家持

 日本女性のやさしさ、あいらしさ、しなやかさ、まことの強さ、それらをあらためて思い起こさせてくれた、なでしこジャパンの選手たちでした。

心を暗く覆うもの

 わたしの死など、取るに足らないものだと思います。わたしの人生にしても同じです。人生を軽んじるわけではありませんが、わたし自身に限って言えば、わたしの生死など、もうどうでもよいことだとすら思います。

 なのに、老いた今、わたしの心を暗く覆うものがあります。これからは、この暗い覆いとの心の戦いになるのでしょう。若い頃は運命にあらがい、結局わたしの一生は、なにものかにあらがい続ける一生のようです。

このあと、みんなで草刈り作業をしました。
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2011.6.4撮影
プロフィール

カイ

Author:カイ
奥三河・作手郷の風景を、「テレジアの森」から、お届けします。2010年9月より、娘の生活、生い立ちをとおして、より深い心の風景としての作手郷を紹介します。

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