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湿原の草刈り・冬

 12日は、清岳向山湿原の草刈りでした。それで前日の土曜に、作手の山荘へとでかけました。積雪を心配していたのですが、さいわいに日差しは明るく、雪もほとんど解け、良い作業日よりの週末となりました。

 前日、刈り払い機・混合油などを軽貨物に積み込んでおき、翌朝、霜で真っ白なテレジアの苑を出発、八時に湿原着。現地では、まだ大石さんがひとりだけ。会うなり、開口一番、「このまえは零下十七度でした」。例年より、十度以上も低い最低気温です。さらに大石さんによれば、今年は鳥が集団で消えてしまったとのこと。去年の3.11から夏の豪雨、冬の豪雪と、とにかく異常現象がつづいています。贅を求めすぎる人間の業がもたらしたものかと、立ち話をしているうちに、みなさんがやって来ました。

 湿原内の草刈りは、いわば泥の中の作業です。刈り払うのもたいへんですが、片付けもたいへんです。刈った枯れ草を集め、束ね、木道まではこびます。さらにそれらを、木道を行き来して湿原の入り口に集めます。そして軽トラで別の場所の山中に捨てるのです。これらの作業を手分けして行い、くり返します。

 当日の参加者は、8名。男性・女性それぞれ4人ずつ。とりわけ、鳥山さんご夫妻は、東栄町から一時間半をかけての参加でした。頭が下がります。しかもみなさん、六十代です。寒風の吹き抜ける湿原での作業を終える頃には、さすがに誰もが疲れ切った表情。わたし自身、十一時半までのおよそ三時間の作業が、以前に比べ辛く感じます。

 内心、こんな得にもならないことを、いったい誰のためにしているんだと、思ったりもします。正直、ネガティブな思いがさまざま胸をよぎります。でもやっぱり、みなさんを見ていると、こうした生き方こそ大切なんだと、つくづく教えられます。世の中をゆがんだ目で見、何もしないのは簡単ですが……。

土曜は、三河湖経由で作手に向かいました。途中、湧水を汲みました。
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樹幹の向こうの三河湖。
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翡翠色に輝く湖面でした。
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湿原の草刈りから帰ったら、妻と娘が入り口付近を散歩していました。
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完全防寒です。
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舗装路に向かって。
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テレジアの谷の上の、雲と青空。
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草刈りのさい、村田さんからいただいたポストカード。湿原の夕景。
原作品は、東京「上野の森美術館」で展示されます。
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12.02.11-12撮影

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湿原とは何か? その三、消えた大野原湿原

9月22日、休日を利用し、大石さんと共に、三河湖を望む羽布の森に、ブナの巨木を見に行きました。旧下山村の天然記念樹に指定されています。作手文珠山のブナが端正な形なのに対して、こちらは雄渾のおもむき。写真技術がないわたしは、短歌で。

※湖(うみ)はるか山々の間を蛇行して水を湛える鈍き光に
 (三河湖を望んで)
※羽布の森ブナの大木(おおき)を見むとゆくわが師とたのむ友と連れ立ち
 (師とは、大石さん。この日も多くの教え)
※大いなる蝶飛翔して谷底の木立にやがて見えなくなりぬ
 (アサギマダラの悠然とした飛翔でした)
※谷底の暗きにわれら下りゆくブナの大木を眼下(まなした)に見て
 (ひとつ間違えば、転げ落ちる急峻さ)
※根方より見上げるブナの太き枝曲がり交差し空高く這う
 (実に雄渾な枝葉の張り具合でした)


さて以下は、湿原の話。「消滅した大野原湿原」です。
村史誌資料原稿から、抜粋。

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●消えた大野原湿原

農業基盤整備事業が始まる昭和40(1965)年以前の市場、鴨ヶ谷、長者平にかけて、30haとも50haともいわれる広大な湿原がありました。地下に大量の泥炭が堆積し、手のつけようのないこの一帯を「大野原」といいました。
大野原湿原に堆積した泥炭の最深部は3.5mにもおよび、一度落ち込んだら自力で抜け出せない、人を寄せ付けない底なしの湿原が広がっていました。
その後、大規模に農地化され、現在は向山と鴨ヶ谷の山際のごくわずかな地域に湿原の一部が残っているだけです。

大野原湿原の空中写真
キエタオオノハラ1
赤線で囲んだ地域が湿原。湿原内に瘤のように見えるのは掘り出された泥炭の山です。

湿原内を迷走する水が乱橋付近で東西に分れ、蛇行しながら小川となり、細い沢が水田を迂回して流れています。幅1mもない幹線が、長者平から鴨ヶ谷へ湿原を縫うように伸び、その道に沿って面積も小さく、形の不ぞろいな水田が湿原を避けるように幾何学模様を作って広がっています。
水田に沿って泥炭を盛り上げた細い道が続き、湿原の周辺から少しずつ水田となっていった様子がわかります。

農業基盤整備以前の大野原湿原
キエタオオノハラ2

区画整理された美田が広がる現在の大野原
キエタオオノハラ3

●泥炭(乾燥品・湿潤品)
産地:大野原湿原、大石巳郎氏採集

大野原湿原に堆積した泥炭は、最深部で3.5mを越えていました。一度落ち込んだら自力では抜け出すことができないので、落ち込んだときに場所がわかるように、菅笠をかぶっていけといわれたそうです。
その昔、人が沈み菅笠だけが浮いていた「万兵衛掘り起し」の語り伝えが今も残っています。
泥炭でできた深田の農作業は並大抵の苦労ではなかったようです。底なし状態の沼田では、切り出したハンノキなどの潅木を沈めて足場をつくり、田植えはその足場をたよりに、腰まで泥だらけになって、後ずさりして苗を植えました。
厄介者であった泥炭でしたが、近年は掘り出されて、園芸やゴルフ場の土壌改良剤として利用されています。

●泥炭は生きたタイムカプセル。

泥炭の中には、肉眼でも確認することができる火山灰の堆積が四層あります。いまから二万五千年前に起きた鹿児島の大爆発により、中央部が無くなり大隈半島ができたときの姶良Tn火山灰は、泥炭層の2.5m付近に七センチ堆積しています。六千三百年前の鬼界アカホヤ火山灰、九千三百年前の隠岐火山灰、一万七千年前の大山系火山灰なども見つかっています。
これらの火山灰は巨大噴火により降灰したもので、泥炭の堆積年代や、気象を知る上で貴重な資料となっています。

●大野原・長ノ山泥炭地の成り立ち

①分水界の移動前後、下刻と側刻の侵食力で丸底の皿状の谷が形成され、泥炭が堆積しやすい地形ができた。
②分水界の移動後、流量の減少で河川の流れが固定し、背後湿地で湿生植物が繁茂した。
③側方斜面の小河川から水と土砂の供給を受け、枯死堆積した植物遺体は夏季の低温と湖沼状態による酸素不足で充分に分解されず、部分的に砂礫層を挟みながら泥炭層を形成した。

大野原湿原の泥炭層の形成開始時期は約32,000年前とされ、27,000年前頃から本格化し、その後約3,000年前頃まで泥炭の形成が継続していたと考えられています。大野原湿原堆積物中には7~8枚の火山灰層が含まれていることが報告されています。主な火山灰層は次のような年代です。

姶良(あいら)Tn火山灰:AT.約25,000年前
大山(だいせん)系火山灰:D.約17,000年前
ウツリョウ-隠岐(おき)火山灰:U-Oki.約9,300年前
鬼界(きかい)-アカホヤ火山灰:K-Ah.6300年前

長ノ山湿原の堆積物はTn火山灰(AT)降灰以降の堆積で、泥炭は約8,000年前からと考えられています。

古大野原湿原堆積物の堆積速度は鬼界-アカホヤ火山灰(K-Ah)の堆積以前と以後で異なり、以前は6.7cm/1,000年、以後は27.0cm/1,000年であり、長ノ山湿原堆積物の堆積速度は15.9cm/1,000年であると報告されています。

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次回は、いよいよ、作手の湿原についてのまとめです。

湿原とは何か? その二

この週末の作手の野辺は、ワレモコウやツリフネソウが咲き、いよいよ秋なんだなと、実感させられました。でも残念なことに、わたしたちの管理する山には、それらの花がありません。それで小さな小さな秋の花を見つけることにしました。メドハギにヤハズソウ。ほんとに米粒くらいの。でもルーペで見れば、それなりにきれいなのです。

前回と同様、T&Tさんのブログ、「きままにフォト」から、
作手郷の風景をごらんください。
記事は複数回にわたっています。

よん来たのん作手へ

以下はややっこしい、湿原の話。
興味のある方はどうぞ。

前々回で簡単な湿原・湿地の説明をしました。しかしここで「湿原の里・作手郷」というとき、わたしたちは少し混乱をします。

湿原というとき、わたしたちはふつう、尾瀬ヶ原や霧ヶ峰の八島湿原などを連想します。広い草原と美しく珍しい湿原の花たち。歌でも歌いたくなる散策路。ところが作手には、そんな観光地的な風景はありません。前回記述した「作手中間湿原群」の代表的なものが、県天然記念物指定されている長ノ山湿原なのですが、一見荒れ地が広がっているとしか見えません。せめて鳥の声など聞こえれば、と思うのですが、まず何よりも近くのミニサーキット場を走行する車の爆音が騒がしく聞こえるばかり。愕然とします。

わたしが「湿原の里・作手郷」と言うとき、こうした長ノ山湿原の現実の風景を指して言うのではありません。

しかしここでもう少し、作手中間湿原群(長ノ山湿原など)について、説明します。重複するようですが、泥炭湿原について、史誌自然部会の資料原稿から抜粋記述してみます。

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●泥炭湿原とは。

沼や池に生える植物が枯死して水の中につもり、分解が進まず半腐食状態となって長い年月にわたり、堆積した泥炭土の表面をスゲ、ヨシ、ミズゴケなど、その時々の植物が覆ってできた湿原を「泥炭湿原」といいます。

湿原とは過湿・貧栄養つまり、湿り気の覆いやせた土地に育つ、湿原特有の植物が生育する場所のことです。愛知県では泥炭湿原は大変珍しく、作手湿原が唯一の存在となっています。

●泥炭湿原の変遷。

湖や湿地に生える植物が枯死し、倒れて水の中に積もり、酸素が欠乏すると微生物による分解が進まず、何千年、何万年もの間に、枯死した植物が堆積層を形成します。それが泥炭層です。

枯死した植物が水中で堆積を続ければ、池や沼は次第に浅くなり池塘が多い湿原ができます。この状態を低層湿原といいます。さらにヨシ、スゲ、ミズゴケの枯死したものが堆積して隆起し、乾燥化が進みます。この状態の湿原を高層湿原といいます。

低層湿原から数万年が過ぎ、高層湿原へ移行する途中の中間湿原ではヌマガヤが表徴種であり、植生の種類が多いのが特徴です。作手の湿原は、この中間湿原にあたり、環境省選定の重要湿地に選ばれ、作手特産種をはじめ、絶滅危惧種などの希少種が多く生育しています。

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上記の作手湿原とは、端的に長ノ山湿原を指していると考えてよいでしょう。約115cmの泥炭が堆積し、形成され始めたのは、八千年前にさかのぼります。なお泥炭層の厚さは様々に言われていて、混乱しています。

実はここで、長ノ山湿原より形成年代がさらにさかのぼる、消滅した大野原湿原について、記述する必要があります。仮にこの大野原湿原が残っていたならば、おそらく日本を代表する中間湿原とされていたと思われるからです。

次回はこの大野原について、簡単に説明をしてみましょう。

湿原とは何か? その一

8/23日(日曜)、庄の沢湿地はミズギクが最盛。群落の黄の色に、サワギキョウ、ミズギボウシ、そしてムラサキミミカキグサの淡いむらさきが混じっています。グランドカラーは、ヌマガヤなどの明るく柔らかな緑色。絵画を見ているような、一年でもっとも美しい風景です。

さて、これからしばらく、湿原・湿地について記述してみようかと思います。

「湿原の里・作手郷」を語るには、湿原とはどのようなものかを、まず語らねばなりません。それで以下に、作手史誌自然部会の資料原稿から、湿原・湿地についての説明記事を抜粋してみます。

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●湿原は水面でも陸地でもない不思議な存在。

枯れた植物は完全に分解されると「土」になります。水分が多く寒冷な条件の所では完全に分解されず、半腐食(なかば炭化)した状態になります。この状態を泥炭といいます。泥炭の堆積する層が厚くなるにつれて「低層湿原(池塘が多く水位の高い湿原)→中間湿原(ミズゴケ・ヌマガヤが優占種、植生がもっとも豊かな湿原)→高層湿原(陸地へと移行する)」へと移行していきます。

植物などが完全に分解されずに残ると「腐植酸」ができるため泥炭の酸性が強くなります。分解されて土に帰るはずの養分も泥炭層の中に閉じこめられてしまいやせ地となります。

泥炭層の発達した湿原は、スポンジのように軟らかくふわふわとしており、その中に大量の水を含んでいます。この状態では完全な土とは言えません。

●湿地と湿原の違い。

常に湿っている場所を湿地といいます。湿地は非常に大きな概念を持つ言葉で、浅い湖沼、あるいは沼沢地、水田なども湿地の概念に入ります。

湿原とは「過湿・貧栄養・強酸性の地に発達する自然草原」といえます。そのキーポイントは「泥炭層」の有無にあります。

愛知県には、北山湿地・藤七原湿地・矢並湿地・黒川湿地を始め多くの湿地がありますが、泥炭層がない湧水湿地であり規模も小面積です。泥炭層を有する湿原は県下では作手湿原のみです。このため「作手中間湿原群」として環境省より「日本の重要湿地500」のひとつに選定されています。

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以上が簡単な湿原・湿地の説明です。さてここで「湿原の里・作手郷」というとき、わたしたちは少し混乱をします。これについては、次回に説明しましょう。

森楽さんのブログから

森楽さんの最近のブログ内容は、湿原に集中しています。ご自身で、湿地の管理をはじめたことが、きっかけでしょう。長命湿地とのこと。わたしもいつか訪ねたいと思っています。
まずはこちらをごらんになり、さらに前後の記事をごらんください。作手の湿原について、言及されています。

森楽さんのブログ、「雑木林で森を楽しむ!」から
-拾ったリーフレット、長ノ山湿原の生い立ちを!-
プロフィール

カイ

Author:カイ
奥三河・作手郷の風景を、「テレジアの森」から、お届けします。2010年9月より、娘の生活、生い立ちをとおして、より深い心の風景としての作手郷を紹介します。

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